2012年3月2日、父が他界した。
この職業についた以上、親の死に目にも会えないとよくいわれてきたが、まさにそれだった。
その日は乃木坂46のリハーサル、スタジオに向かう直前、姉からの電話で危篤と聞いたが、そのまま向かった。
次の日のライブについてあれこれ少女たちに指導しながら私は妙に冷静だった。そうあるべきだと、そうした。
そして、その最期がきた。姉からの亡くなったとの電話を音楽が鳴り響くスタジオの隅っこに、しゃがんで聞いた。
姉は泣いていた。私は明日の乃木坂46の本番は絶対に立ち会わなければ・・・。そんな事を想っていた。

 

深夜に実家に戻り父と対面した。私の覚えている父ではなかった。いろんな事を必死に想いだそうとした。
こどもの頃、毎週日曜日は父と日本橋の三越か新宿の伊勢丹に買い物にいっていた事。
中学くらいになると父に散歩に誘われるのが嫌だった事。大人になるにつれ説教もされた事がなければ、
深く話もした事もなかった事。遺言とかないのと姉に聞いたら延命治療はしないでくれと書いたものがあるといった。
家族への感謝の言葉もなければ私への伝言もなかった。父らしいと想った。そしてうちらしいと想った。
ただ私はお洒落でかっこいいけど、結構ドライな感じの父が嫌いではなかった。

 

私の家にあるじゃがたらのアケミナベしのちゃんの遺影の横に、父が加わった。
父はどんな事を考え生きてきたのだろう?もはや知る由もないが・・・。今は朝晩話しかけている。
死んだ人が空で見守っているというのは誰がいいだしたのだろう。
私は違うと想う、死んだ人は大地で下から生きているものを支えているのだと、私は想う。
明日は父が眠る場所に行こう。

 

 

南流石
04/22/12

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