うれし華

小さな頃 なりたかったのは「桜の花」だった

 

ダンサーでも振付師でもなく、なぜだかおかしいくらい「桜」を見上げると興奮しうらやましかった

そして、いつか絶対に「桜」になりたいと願い・・・でもいつしかそれは、心の奥のほうに大切に安置され
そのあと、なりたかったのは「華」だった・・・何かの「花」ではなく、特別に大きな「華」という存在だった
そしてその想いは、今もずっとつづいている

 

近頃、うれしい日があった。以前、流石組にいたレイナ(流石組レイナ)に6年振りに逢ったのだ。
彼女は、3歳から小学5年までダンサーとして私のもとで、まるで私の分身のように踊っていた。私のはじめての家族だった。
そして「華」だった。2003年3月30日、現・流石組のメンバー達と共に、三茶の駅前で私達を待つ高校3年生になるレイナと再会した。

あのちいさかったレイナが あのまんまおおきくなり でも あのまんまちいさかった

 

長い時間、私達はたくさんの想い出話とあの頃の確認の言葉を交わし、わかった事があった。
レイナが言った「レイナはずっと流石組だと想っている」と、私の中でひきずっていた何かが、きれいに消えうれしくて泣きそうになった。

 

そしてもうひとつ、4月3日、私は代々木でのGLAYのライブを観に行った。
「GLAY EXPO 2001」の時、ヤンバルクイナの振付と出演で、GLAYのメンバー、スタッフとはじめて逢ってから何かを創り生みつづけている
という共通点でずっと応援し、仲良くさせてもらっている。GLAYチームとの、久し振りの再会だった。
その日のライブは、私にとって本当に意味のある、感動のライブだった。タクロー隊長の、ひとつひとつを絶対に見逃さず、聞き漏らさず
自然に体が緊張した。そしてメンバー全員がとても大きな「華」に見えた。美しく大きく「力」があふれていた。
ライブのあと、タクロー隊長と少し話をした。今の私と同じような顔をしていた今やるべき事において・・・テルとも話をした、とてもいい時間だった。GLAYチームは、あの頃よりもっともっと「華」になっていた。

 

私のなりたいと願った「華」は、私の近くにもいろんな形で存在し、うれしかった。
私は増々、「華」になりたいならなければならない・・・と勇気がでた。

 

南流石

04/16/03

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