見・伝・聞・ざる

ひとつ新しい現場で、もの創りの作業をすると、私は氷ついて言葉を失ったり、感動で震えたりの
両極端な震動で自己調整がつかなくなり、身体と頭と心が立ち止まりそうになってしまう。

 

みんな最終目的は同じはずなのに、どんどんずれて醜くなる。
そのラインは多分くだらない個々のプライドのぶつかり合いだけだからだろう。
その反面、感動は決して作品と自分の生き様をなめずに、逆境に立ち向かうそんな姿を真のあたりにした時に生まれる。
悲観だけじゃない。ちゃんと感動があるからこそ、私は訳がわからなくなってしまう。

 

そしてひとつの作品にたずさわる全ての人々が、もしプラスの方向に歩いていこうとすれば・・・
などと大きなお世話の私の感情が私の行く道をむずかしくする。

 

その上、自分自身をがんじがらめにする。

 

でも、ものすごくうれしいありがたい気持ちをもらったこの数ヶ月、私は踊り、創り、悩み、そして少しだけ言葉を吐くことに怖さを覚えた・・・
しばらくは静かに心の中だけで自分の気持ちを嘘のない対話をしようかなと想う。

 

それは多分弱気な結論ではなく、もう一度自分の生き様を興奮せずにみつづけてやろうという、カッコいいリセットのはずだ。

 

 

お礼を伝えたい人がいっぱいいる。

 

ありがとうございました。

 

ていう感じの春。

 

 

南流石

 

04/18/04

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