撃沈もあり

詰まりに詰まった創作と想像と落胆の日々が8月で一段落。喜びはいくつあっただろう?
身近な仲間にすら不信に似た想い、自分の少し先さえ笑ってしまうくらいもどかしい24時間の繰り返し、私は一度クリアにしたくなった。

 

これは別に、はじめてではないはずなのに特別に、はじめてのような感覚。
できれば、ただの快楽に誘われたいという心が見え隠れしている自分に、びっくりしながら多分そうは、ころばない自分を知っている。
決して過去に戻りたいとか、なつかしむとかそんなことじゃないと言葉にしながら、そんなことを隠れて想っている。
どこに行きたいのか、わからなくなる、ためしてみる。でも胸の中に引っかかっている匂いが正気に戻す。

 

例えば、勇気をだして上っ面の言葉のやりとりを楽しんでみようかとのチャレンジは、思いのほか効果なく、さらに撃沈。
大切に幸せだった、あの顔はお互いに見えない、小休止、呼吸をととのえて希望を数えてみる
明日かもしれない、明後日かもしれない、死んでしまうという事実を知っている以上、その時に、タイムをあわせて眠ってみる。

 

目が覚めるその瞬間を、心はやるその一瞬を、全身で受け入れたい。
そんな日は、くるかもしれない、そんな日の為に、生きてきたはずだ。

 

 

昨日、JagataraのOTOと話した10.3 Deep count Live ゲスト出演の話や9.11 Be Here Now の話や
いろいろ、いろいろ約4時間、しかも電話で・・・

 

世田谷と国分寺のラインは熱くるしく、あたたかかった

 

 

南流石

 

09/08/03

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